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From the economic column I wrote in the past

シェアリングエコニミーと現物資産

2018年9月9日

ここ数年で急速にシェアリングエコノミーが台頭してきましたね、モノを持たずに大勢で共有したいと考える人が増えてきたということです。車や自転車など頻繁に使わないモノを、高いおカネを払って駐車場に置いておくのはもったいないですし、車の場合は自動車税や保険料もばかになりません。なによりいつ使うかわからないモノに出費を強いられるということに対し、素朴な疑問を持つ人が増えてきたのではないでしょうか。メルカリなど中古品のネット仲介の人気化も、根っこの部分は同じだと思います。最近ではメルカリで売ることを前提に、洋服やバッグなどを買う人が増えてきたと聞きます、これもモノの所有に執着を持たないという点で、一種のシェアリングエコノミーといえるかもしれません。

もっと視野を広げてゆきますと、例えば音楽のダウンロードや電子書籍なども、シェアリングエコノミーの派生形なのかもしれませんね、音楽にしろ本にしろ、すでに大半のコンテンツはネット上にあり、おカネさえ支払えばいつでも手元のデバイスにダウンロードできます、大げさに言えば私たちは巨大な図書館やCDショップとつながっていて、それらが提供するコンテンツを皆でシェアしているという見方もできます。

このシェアリングエコノミーはいったいどこまで進むのでしょう。

この問題について考える場合、ネットワークの高度化あるいは高速化は一つの切り口になると思います、現在は4G通信がベースになったスマホ社会といっていいと思いますが、2020年に5Gという新しい通信規格に切り替わります、なんでも5Gは現行の4Gに比べ100倍の通信速度を持っているそうで、例えば2時間の映画一本が3秒ほどでダウンロードできると聞きます。ですから5G時代には映画や音楽、書籍などあらゆるデータは広い意味でのシェアの対象になるでしょう。5Gを利用したメルカリ的な物々交換市場もさらに拡大するでしょうし、その発展形として、例えば企業がオークション形式で個人に商品を販売するといった新商売が生まれるかもしれません。

シェアリングエコノミーの将来について考える場合の、もう一つの切り口は人間が持っているモノへの執着です。以前僕はメルマガでこの問題について考えたことがあります。そもそもなぜ人はモノを持ちたがるのでしょうか・・ちょっと大げさになるかもしれませんが、大昔の私たちのご先祖様が飢に備え肉や穀物などを貯蔵したところに、モノへの執着の原点があると僕は思います、貯蔵の対象は食料に始まり、食料を確保するために必要な農具、馬具、そして隣村の住人と戦うための弓や矢へ広がってゆきました、さらに時代が下り富の格差が始まると、富める者たちはその富の貯蔵手段として貨幣や金(Gold)に執着するようになります。太古以来の人間が何百世代も何千年も、このような行動をとり続けてきた結果、私たち現代人のDNAレベルまで、モノに対する執着心が刻まれているというのが僕の考えです。

もしこの考えが正しければどうでしょう。

確かにシェアリングエコノミーはモノに対する執着があれば成立しませんが、私たちはすべてのモノに対して執着心を捨ててしまったわけではありません、例えば私たちが画像データとしてではなく美術品そのものを手元に置いておきたいのは、私たちは美術品持つが美しさという機能ではなく、美術品の存在そのものを身近に置きたいからではないでしょうか。これはクラシックカーのような置き場所に困るモノのコレクターがいることからもわかります。コインや宝石なども同様で、このような現物資産はシェアリングエコノミー時代にも、収集の対象として受け継がれてゆくと僕は思います。

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