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From the economic column I wrote in the past

怖い円安

2022年5月28日

モノを作る会社に長年身を置いていた僕にとって、いつも円安は好ましいものでした。

新卒で三洋電機に入社したときのドル円相場は、たしか1ドル=230円ほどでしたが、それからどんどんと円高が進み、ソニー時代は1ドル=80円という超円高との戦いに明け暮れていたように思います。頑張って良い商品を・・、世界中になくてはならない商品を低コストで作っても、すぐ円高によって努力がむなしくなりました。良いものを安く作るから輸出が増える⇒輸出が増えるから円高になる⇒それでも円高に負けないように良いものを安く作る⇒輸出が増える⇒輸出が増えるから円高になる・・・、いつまで続くかわからない無限円高のなか、私たち製造業で働く人間は頑張り続けたのです。

こんな体験をし続けてきたからだと思いますが、頭の中に「円高=苦痛」という図式が染み付いてしまっており、逆に今のように円安に振れると気持ちが明るくなります、きっと条件反射というやつだと思います。

おそらくこれは僕だけでなく、僕と同世代に製造業に勤めていた人たちの共通した感覚ではないでしょうか。家族まで含めると相当な人数になると思います。そんな事情もあって、いまだに日本の社会全体に、「円安歓迎」「円高嫌悪」という感覚が残っているのではないでしょうか。

円安を歓迎していいのか

日銀総裁の黒田さんも「円安は社会全体としてプラス」と公式の場では発言していますし、政府の見解もそれに近いかもしれません。僕はこのような考えの下地には、上記のようにかつて私たちが円高で散々苦しめられてきた苦しい経験があるのだと思います。

でも私たちはこのような過去の経験にとらわれて、素直に円安を歓迎してしまっていいのでしょうか。

僕はそうは思いません。

そもそも円安とは何でしょうか。円安は円と外貨の交換レートが、私たち一般の生活者にとって不利に作用することですし、ストックの面からみても資産価値はドルベースで減ってしまいます。つまりフロー(日々の交易)面に加えストック(資産残高)面でも私たちが貧困に向かうということです。

このようなお話をしますと、黒田さんから「円安によって輸出型企業は競争力が高まって有利になるじゃないか」と突っ込まれそうですが、果たしてそうでしょうか?

振り返れば円高が進んでいた時代、1980年代から1990年代にかけ、日本の製造業の競争力は飛躍的に高まりました。それは会社だけでなく従業員一人一人が効率を考えて仕事し、良い商品を安く作る努力をし続けたからだと思います。つまり逆説的ではありますが、円高という逆境のなかだからこそ、私たち日本人は生産性を高められたといえるでしょう。

翻って現在の日本をみるとどうでしょう。

昨今たびたび私たち日本人は生産性の低さを指摘されます、たしかに生産性が低いから会社は収益が上がらず、給与も上がらない、その結果、かつて日本の牙城だった半導体や家電や鉄鋼、造船など韓国や中国にシェアを奪われてしまいました。一社一社の収益力の総和はGDPに行き着きますので、この間、日本のGDPはほとんど増えないという当然の結果になりました。そして経済的には下に見ていたお隣の韓国に、一人当たりGDPで抜かれてしまいました。この間起きた日本衰退の原因の一つは、かつて円高によって鍛えられてきた日本の企業が、(方向性としての)円安というぬるま湯にどっぷりとつかってしまった帰結という見方ができます。

もしこの見方が正しかったとしたら、足元の円安は日本経済にとってかなりヤバイのではないかと僕は思います。

日本企業は「ぬるま湯環境」に慣れて危機感を持たず、成長に向けた設備投資や研究開発、人材育成をおろそかにし、その結果、収益性が高まらず、賃金は増えず、GDPも増えない・・・。しかも円安によってドル建てでみた個人のストック(資産残高)も減り、日本はますます貧乏な国になってしまうのではないかと不安になります。

国が貧乏になるのは百歩譲って目をつむるとしても、私たち一人一人は危機感のない国や会社にお付き合いするわけにはゆきません、自分自身や家族を守るため、個人でできる貧困化対策、すなわち通貨の国際分散を粛々と進めるしかありません。

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